2019年12月28日土曜日

山藤章二のヘタウマ文化論を読んだ

山藤章二著 ヘタウマ文化論
神田の喫茶店にて

本書は、著者が夜寝る前に考えた「ヘタウマ」に関するよしなしごとを、そこはかとなく書きつくったもの。読んでいても「夜のリズム」というか、静かにゆるゆると流れていく思考を感じ取れてよかった。読んでいて穏やかな気持ちになった。

さて、山藤章二氏は、美大卒で広告会社から独立して挿絵、漫画で活躍され、この本の執筆時は75歳とのことだった。

当時、著者が美大に入るには、デッサンデッサンまたデッサンで絵を「上手く」描くことを叩き込まれた。また他の芸術でも同様で、作家は名文が書けてあたりまえだし、落語家は上手さで笑わせることを信条としていた、という。

それが、近年では「ヘタウマ」がもてはやされ、「上手く描ける人がわざと下手に描いて」表現をするようになったという。

本書で出てくるエピソードは、時代的には、私よりもだいぶ上で正直わからない人も多かった。そうなんだけれど、安西水丸氏はわかった。村上春樹のエッセイの表紙を描いていたりするけど、たしかにヘタウマだ。少なくとも画力を見せつけるタイプではない。

本書は、タイトルに文化論とあるように、ヘタウマが流行した文化的な背景が考察されている。ただ、資料にはよらず、記憶を頼りに論を進めているので、細部についてつつくのは粋ではない。むしろエッセイとしてとして読んだ。

興味深かったのが、議論の中で著者の友人であった「立川談志」の視点が何度も登場することである。談志の言葉を引いていることもあれば、あいつなら、こう思う、と書かれていることもある。これっていいなぁと思った。

一つの道を極めた友人が、自分の中にいる。それは、一人でいても、二人で議論を深められ、思考の袋小路に陥るのを助けてくれるだろう。

さて、私の頭の中に、誰かそういう人がいるだろうか。
世界に対して扉を閉じていないだろうか、また、通り一遍の人付き合いで世を渡ろうと考えていないだろうか。

著者の語り口と夜の雰囲気が、私にそんなことを考えさせた。
著者の人生のつまった、いい本だった。


2019年12月24日火曜日

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論(あるいはルネサンス変人列伝)

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論
神田のスターバックスにて

著者のヤマザキマリさんはテルマエ・ロマエで有名だが、以前は画家をされており、学生時代はイタリアで美術を学んでいたという。そんな著者が(独断と偏見で)選んだルネサンスの芸術家たちを、その良さはもちろん変なところも含めて紹介している。というか、変人エピソードが結構多い。

私も(読んでいる分には)変人が好きで、変人エピソードの多い本(高野秀行氏の著作とか)をまま読んできたが、本書もなかなかよかった。道を極めると変になるのか、変だから道を極められるのか。

とはいえ、単におもしろおかしく書いているわけではなくて、
  • ルネサンスをおこした人々と社会情勢
  • ルネサンス最盛期の様子
  • ルネサンスにおける外国(北方、イスラム圏)の影響
などがわかりやすくまとめられていて、勉強になった。

なんだか抽象的なので、いくつか記憶に残っているエピソードを記す。

本書で初めに紹介される画家。私は本書で初めて知った。この人はイタリアの絵画は宗教画から脱却するきっかけの一人として説明されている。その功績は「実在の人物をモデルに、それと分かる形で描いた」こと。彼の絵のモデルになったのが、奥さんと子ども。自分の愛するものを思いっきり描いたら世界が変わった、というのはすごい。実は聖職者なのに駆け落ちして、その上絵のモデルにする度胸もすごい。筋の通った変人である。


2)ルネサンスの三大巨匠といえばラファエロミケランジェロダビンチだ(実はこれも本書で知った。ラファエロについてはあまり知らなかった)。三者三様でそれぞれ違って面白かった。ラファエロは、クライアントの気持ちを汲める常識人的な人だったらしい。その一方でちょっと変わった形で自己アピールをしていたりする。例えばラファエロの「アテナイの学堂」で一人だけカメラ目線の人がいる。そのモデルが自分という。回りくどいというか、通好みというか、変わっている。

一方で、「筋肉は裏切らない」を地で行くミケランジェロもすごい。「胸の上にリンゴ載せてんのかい」な裸婦像を披露されたときのクライアントの気持ちを想像すると忍びない。

また、ダビンチの人嫌いエピソードも興味深かった。人嫌いだからこそ、解剖図に熱心に取り組んだ、という。対象から距離を取れるからこそ、客観視でき、客観視できるからこそ人体を切り刻んでも平気でいられる、ということか。人が切られるのを見て、自分が痛みを感じていては、解剖図は描けない。


3)国によって、画材が違った、というのも知らなかったので勉強になった。イタリアではテンペラ画やフレスコ画が主流だったのに対して、北方では油絵が発達した。その一番の違いはざっくりいうと解像度で、油絵のほうがずっと細かな表現ができた(そうだ)。なので、北方の画を見たイタリアの芸術家はその緻密さに驚いたという。ルネッサンスはイタリアからその他の地域に広がったと漠然と思っていたので、画材や技法についても同様だと思っていた。しかし、実際は北方の油絵やイスラム世界に残るローマ時代の芸術がイタリアに大きな影響を及ぼしていた、ということがわかった。勉強になる。


この本は、芸術家の「人」の部分に焦点を当てて解説しているため、親しみがわいてくる。人がわかれば絵の背景も見えてくるので、読む前よりずっと理解ができるようになった(と思う)。そういう意味で、絵画には詳しくないけど教養として知っておきたい、という人におすすめできると思う。私もその一人だ。



2019年12月23日月曜日

小説 ペイ・フォワード 指数関数的に広がる親切の輪



キャサリン・ライアン・ハイド著「ペイフォワード」を読んだ。

ペイ・フォワードは恩送りのねずみ講(表現!?)のようなもので
「人に親切にしたときに、自分ではなく別の3人に親切にするようにお願いする」
という運動だ。

3人 → 9人 → 27人 → 81人 → 243 → 729人 → 2187人 →

と指数関数的に親切の輪が広がっていく。やがて、世界の人口を超え、2度目、3度目の親切が回ってくる。

有名な話で、史実だと思っていた。
この本も、史実を基にしたノンフィクション小説だと思って、読み始めた。

読み終わってみたらフィクションでショックを受けた。

親切で世界を変えたトレバーはいなかったんだ。

いい話なんだけど、アメリカの下流よりの家庭の暗部(アルコール中毒、薬物中毒などなど)も普通に出てくるので、小学生には勧められない。おすすめできるのは中学生~高校生くらいだろうか。


2019年12月16日月曜日

読書記録 ぼくのフライドチキンはおいしいよ



中尾明著「ぼくのフライドチキンはおいしいよ あのカーネルおじさんの、びっくり人生」を読んだ。

ここのところ、子どもに伝記を読み聞かせている。エジソン、ライト兄弟ときて三冊目の本がこのカーネルサンダースの伝記だった。

本書は、主に小学生向けに書かれたカーネルサンダース(本名ハーランド・デーヴィッド・サンダース)の伝記だ。読む前の時点で、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の店頭に立っている人形の人、65歳でKFCを立ち上げた、くらいしかカーネルサンダースの知識はなかった。てっきり会社を定年(?)退職して、KFCを立ち上げた脱サララーメン店主みたいな人なのかと思っていたのだが、この本を読んでそれが全然間違いだったことがわかった。

Wikipediaにも書いてあるが、大きく言うと機関車の火夫 → 弁護士見習い → タイヤのセールスマン → ガソリンスタンド経営 → レストラン経営 → ケンタッキーという流れで職を転々としている。仕事を変える都度都度で一文無しになっているところがすごい。65歳で無一文。そこからKFCで大逆転。

すごい。

また、それぞれの職で伝説的な逸話を残しているのがすごい。

たとえば、カーネルが火夫をしているとき、別の鉄道会社の列車が脱線事故を起こした。近くにいたカーネルは、その鉄道会社を相手に被害者のために交渉し、会社から多額の賠償金を勝ち取った。当時は、鉄道事故が起こったとき、鉄道会社は少額のお見舞金を配って終わりで、被害者はけがの治療費も満足にえられない、というのが常識だった。カーネルの行動は異例中の異例だ。当然このエピソードは鉄道会社に広く知れ渡り、会社に損失を与えた男として、以後、カーネルは鉄道業界から追放されてしまう。

レストランを始めた経緯も、もともとはガソリンスタンドのサービス向上の一環だった。章のタイトルにもなっているが「車にはガソリン、人には食事」というわけだ。レストランでも、より喜んでもらうにはどうしたらよいかを考えて、秘密のイレブンスパイスや圧力釜による高圧調理を発明し、のちのKFCにつながっていく。

自分の正義心と、人の役に立ちたいという思いを貫き通した人なんだろうなと思う。

ただ、正義のためには実力行使も辞さないところはやばい。椅子を振り上げるシーンが2回も登場する。弁護士見習い時代と、KFC時代と。60過ぎて、肉切り包丁に椅子で対抗するとか。普通ではない。

また、商売もうまい、というかよく考えられているなと思った。KFCはチェーン展開をするのだけれど、スパイスだけはカーネル(と家族)だけが調合し、ほかの人には秘密にしていた。そうすると、スパイスの減り具合からどれくらいチキンが売れているかが推測できる。これにより、売り上げに連動するローヤルティが正しく支払われているかを検証することができる。

伝記を読むと、偉人は変人でもあることが分かって面白い。
同じ著者が安藤百福の伝記も書いているので手に入ったら読みたい。

2019年12月15日日曜日

村上龍エッセイ集「ハバナ・モード」 キューバの人が困難に立ち向かう基本姿勢とは



村上龍著「ハバナ・モード」を読んだ。13歳のハローワーク半島を出よの間に書かれたエッセイ。小説家のエッセイは好きで、村上春樹の村上朝日堂や椎名誠の新宿赤マントシリーズを読んでいた。村上龍のエッセイは初めて。

結構、社会批評色の強いエッセイだなと思った。

例えば、表題になっている「ハバナ・モード」についてもそうで、困難にぶつかったとき、キューバの人たちはどのように対処するのか、ということが書かれている。なので、キューバ人という総体を扱っている。個人寄りか社会寄りかといえば社会寄りである。

ハバナ・モードとは何なのかというと、次の三つの態度を伴う問題解決の基本姿勢だと解釈した:

  1. 困難を直視する
  2. そのうえで、楽観的な気持ちで解決策を探る
  3. 解決に向かってひたすら努力する

たとえば、キューバはアメリカに経済制裁を受けて、化学肥料が手に入らなくなった。それで、人々は化学肥料の代わりに有機肥料を使い、農業を発展させた。その結果、今(2000年代前半)では有機農業の最先端を行っているという。

世間的にはニッチに見えても自分の道にひたすらこだわることで、いつの日か最先端に返り咲いたところはDeep Learningと重なるところがある。解決できることを信じて、ひたすら取り組むと本質をつかむことができる、ということなのかもしれない。

今の世の中の流れに安易に流されず、腰を据えて取り組む、というか。

思い返してみれば、このブログもそうだ。
短文が基本のSNSがあたりまえの時代に、あえて長文を書くのは、読んだ本に対して自分の感想や立場を一貫して説明し、記録するためだ。

短文は、短文で役割がある。しかし、知を身に着けるということは、自分の考えを、読み手に補完させることなく述べきることができることだと考えている。そのためには、長文は欠かせない。

エッセイはほかにもいろいろなテーマについても書かれていたが「ハバナ・モード」、それだけひとつ取り上げても勉強になる本だった。

幻の黒船カレーを追え

水野仁輔著「幻の黒船カレーを追え」を読んだ 。「 銀座ナイルレストラン物語 」( 読書記録 )を読んで、同じ著者が出しているカレーの物語、ということで本書を読んでみた。  今回の感想はややネタバレ気味なので、新鮮な気持ちで読みたい方は、この先を読む前に、本を読んでほしい。  で...