本書はエッセイ集で,表題の無趣味のすすめもそのうちの一つ.そこでは,
『真の達成感や充実感は,多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり,常に失意や絶望と隣り合わせに存在している』
『つまり,それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない』
と説いている.
経営者やそれこそ小説家など,自分の裁量を持って主体的に働いている人(=プロフェッショナル)を念頭においているらしいことに注意が必要.ブラック企業が従業員を奴隷労働させるための拠り所となる言葉ではない.
プロ登山家の竹内洋岳氏もその著書の中で「仕事でも趣味でもない生業を営む」と言っているが,(用語の揺れはあるものの)それに近い主張だと思う.登山で食べている,小説で食べている,というのは仕事と割り切ってできるものではないし,かといって趣味の範囲におさまるものではない.
社会に出てから研究と開発の境目で食べてきた私も,成果を出している人の様子を見るにつけて,そう思うようになってきた.成果を出す人は,その原動力が危機感であるにしろ知的好奇心であるにしろ,仕事というにはウェットに,エネルギーを振り向けており,そのスピードと完成度は完全に趣味の世界ではなかった.
それが単にワーカホリックなだけか,というとそうではない.本書でも述べられているように彼らは
「リラックスできて,かつ集中して仕事ができる人は,実はオンとオフの区別がない」
ように見えた.私はまだ全然その境地にたどり着けていない.
また,そうした姿勢を貫くには,ある種の覚悟が必要だ.本書の中の厳しい言葉にもそれが現れている.
- 仕事はなんとしてもやり遂げ,成功させなければならないものだ
- 仕事に美学や品格を持ち込む人は,よほどの特権を持っているか,よほどのバカか,どちらかだ
- 仕事上の失敗は「単なるミス」で,準備不足と無能が顕になり,信頼が崩れ叱責されるだけだ
どれも耳が痛い言葉だが,自分を振り返るために有用な言葉である.
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