2019年7月1日月曜日

読書記録 「わかる」とは何か

長尾真先生の「わかる」とは何かを読んだ.長尾先生は,元京都大学総長,元国会図書館長で,自然言語処理,パターン認識の大家である.


本書では,科学技術を題材として,私達はどのようなときに「わかった」と言うのか,について議論している.2001年の本だが,人間の根本に関する議論であるので十分通じる.
科学技術に対して,一般の人が不安を抱く例として挙げられているのが「クローン技術」であるのが,少し古く感じるくらいである.一方で「原子力」に対する理解と安全への配慮については繰り返し指摘されている.うーむ,と考えさせられるものがある.

本書では,論理的にシンプルできれいなところからスタートして,やがていろいろな例外を見ながら現実に接地していくという構成をとっている.

はじめに,科学的説明とは,という説明がある.帰納と演繹,定理の証明,推論,問題の分割などである.自然科学では,そうした議論の正しさが実験によって確認され,積み上げられてきた.なので,頭で考えることと実験で手を動かすことは両輪であって両方とも重要である.

ちなみに,本書と並行してベイズ統計の歴史の本を読んでいたので,帰納の部分についてはベイズっぽいなと思った.信頼度付きで考えないといけないとか,新しい事実によって信頼度は更新されるとか.また,本章では余談として議論に勝つ方法が述べられていて,アカデミアの世界でのサバイバルを感じた.「前提への攻撃」と「根拠が無いことと間違っていることとの混同への攻撃」である.

次に,どんな場合に推論が不完全になるかの説明がある.最初の例として挙げられているのが還元主義における無限後退の問題である.つまり,物理学で分子→原子→クォーク…とさかのぼって来たが,どこまで行けばよいのか.また,検証の途中である現時点で確実に言えることはあるのか,という問題だ.そうして,推論の適用条件を意識する必要性を指摘する.受け入れた仮定は妥当か,議論が循環していないか,アナロジーが通用する範囲内で議論しているか,などだ.

そして,科学的説明を行う際に利用する言語についての注意点が述べられる.語の持つ意味(内包的意味,外延的意味,関係的意味)から始まって,文の構造によるあいまいさ,文脈と知識による解釈の揺れなどが説明される.

その延長で,メタファーの有用性と危険性についても指摘があり興味深かった.昨今の人工知能ブームでメタファーを使った説明は様々な議論を生んでいる.メタファーに関するリテラシ,とくに限界側の見極めが重要性を増しているように思う.

本書の最後には,これまで説明した基本と限界についてを鑑みて,ではどうすれば科学技術が社会の信頼を得られるか,について述べられている.そのなかでは,アナリシス(分析)の時代からシンセシス(合成・創造)の時代への移り変わるという指摘がおもしろかった.アナリシスによって導かれた法則を,手当たり次第組み合わせて,新しいものをなんでもかんでも作ってしまう,というのがシンセシスの時代だ.スタートアップの生態系やDeep Learningの研究をみていると,2010年代はそんな時代になったなぁ,と.

また,最後の「自然科学を超えて」の節がすごかった.プラトンから始まった西洋科学を2ページで振り返り,続く2ページでアーラヤ識など東洋思想の観点から西洋科学の限界を指摘する.非常に高い視座からの議論で,おもわず音読してしまった.

以上のように,本書は科学的説明とは何か,またその限界は,についてコンパクトだが読み応え十分にまとめられている.

手元において,折に触れて読み返したい本である.
Kindle本がなくて残念.Kindleリクエストはしておいた.

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